やっと稜線にたどり着き、ホッと一息している時、フッとみると団長は“フルーツブラン”を食べていた。
そこへ左背後からヤク君がトントンと団長の肩を叩き、その“フルーツブラン”をおねだり。
団長、笑顔でヤク君に“フルーツブラン”を与える。
今度は私が右背後からトントンと団長の肩を叩き、おねだり。
姐御肌の団長は、こうした団員の甘えにも、嫌な顔一つせず、笑顔で対応してくれる。
“ハイハイ”とやさしく私に手渡してくれた“フルーツブラン”を観て、私ったら歓喜して躍り上がってしまった。
ハートが2ツ重なっている~!
私ったら“乙女チック”に、これを天からの予言だと思ってしまう。
でも、こんなロマンチックな“フルーツブラン”手にしたら、誰だってそう思いたくなりますよね。
そして、翌日
長塀尾根を降り、徳沢から明神への道すがら見つけたラブリーな小花 “Forget-me-not ”。
細い茎に、寄り添うように咲いたブルーの小花とピンクの小花。
これもロマンチックじゃないですか?
これも何かを予言していると思えてしまう。
こんなの・・・・本当はちょっとしたきっかけでこのようになっただけで、特別なことじゃない。
そんなこと十分承知の上。
でもね、そんなちっぽけな事に対しても、これほど狂喜してしまう私は・・・
単純なのか
能天気なのか
無邪気なのか
馬鹿なのか
読者の皆様はどう思われますか?
※写真はクリックで拡大できます。
全く何とも思わないです。ただの食べ物?
栄養以外の何者でも無い・・・。
投稿情報: miyano | 2007/06/21 22:24
青と、紫色の勿忘草(ですよね?)が並んでいるなんてすごいですね。
山でみる小さな花は健気で好きです。
空腹時には花を見ても心が動かないことに先週気がつきました。(笑)。
投稿情報: べー | 2007/06/22 02:19
「些事に感動できる人は人生の達人」OPANDA語録
投稿情報: OPANDA | 2007/06/22 07:58
>べーさん
“ Forget-me-not ”だったんですね。
恥ずかしながら、知りませんでした。
この花の咲き方を見てロマンチックだな~っと見惚れてしまいましたが、花の名を聞いて、改めてウットリ。
ありがとうございました。
投稿情報: Licca Channel | 2007/06/22 12:14
>miyanoさん
ダメだな~、miyanoっちは・・・
男もロマンチックでないと女性にもてませんよ。
投稿情報: Licca Channel | 2007/06/22 12:16
> OPANDAさん
同感
投稿情報: Licca Channel | 2007/06/22 12:17
↑同感! 芥川龍之介ちゃんより
瑣事:人生を幸福にする為には、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事(さじ)に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
投稿情報: 侏儒OPANDA | 2007/06/22 12:47
>侏儒OPANDAさん
ご教授ありがとうございます。
投稿情報: Licca Channel | 2007/06/25 17:38