12日(土) 久々に長唄の演奏会を聴きに行ってまいりました。
遅刻によって途中から聴くはめになってしまったが、『勧進帳』はやっぱりいいねぇ。 あまりの渋さに痺れてしまいました。
それはさておき
会場に大遅刻して到着し、受け付けをしていたら、ふっと前方に見覚えのある人がいる・・・お互い目があったその瞬間、入り口ホールを震わすくらいの大音響で「ひさしぶり~」っといいながら、なぜだかワハハって笑ってしまった。
その知人がワハハっと笑ったその理由はすぐにわかった。だって彼女
「なんか逞しくなったね~」なんて言うんだもん。
“逞しい?”って・・・・・なによそれ
まさか“太ったね”っと言いたいところを憚って、“逞しい”っという言葉に置き換えたのかな?
でもどうもそういう意味ではなさそうな感じは汲み取れる・・・では一体“逞しい”ってなんなんだ?
場所柄、私に投げかけられたその言葉の真意を問いただすことも出来ずに会話は流れていったが、心には引っ掛かりが残っている。
そして、彼女と別れてから、私はこれについて悶々と考えをめぐらすのである。
彼女と出会った頃、私は山を始めていなかったか、もしくは始めてまなしだったはず。
あれから6~7年の時を経て、久しぶりに会った彼女の目には私は“逞しく”変わったように見えたみたい。
“太った”っということなら、数値としてハッキリ表れてしまうので当事者にも変化の推移は分かる。
でも“逞しくなった”ということに関しては、当事者には実感はないし、同居している家族、頻繁に会う友人にもその認識はない。やはり時を経て会ったときにのみ、分かる違いなのだろうな。
しかし、思わず笑ってしまうほどそんなに私は変わってしまったのだろうか。
体つきがガッチリしてきたのかな?
力強さが体中から漲っていたのかな?
それとも、ただ単に年を取ったことによって、図太さが出てきたのかも?
なにせ私は「振り幅の広い女」を目指しているという理由から、日ごろ下界では山に登っていることを悟られないように注意はしている・・・だけどそういう私生活での活動は隠しても隠し切れずに、雰囲気として表に現れてきてしまうものなのかな?
あぁ~、図らずも“逞しく”なってしまったこの私
“逞しさは”三流山ヤとしての成長の証でもあるので、素直にうれしく思える。
でも・・・女でありながら“逞しい”っと形容されたことに対しては、一抹の悲しさがあるのは否めない。
経験は人を作るんだな。
“逞しくなった”私もそう
そして黒紋付の着物が以前よりも様になっている彼女もそう。
この言葉、素直に受け止めよう。
真っ黒に雪焼けした顔と、アリアリと残る凍傷の傷痕から察して「ウム、なかなかハードな人生を歩んでおるな。逞しいことじゃ。」となったのでは・・・。
投稿情報: miyano | 2007/05/15 10:35
↑食べ過ぎて「幅が広く」なったんじゃないの?
投稿情報: OPANDA | 2007/05/15 11:22
>miyanoさん
その上、最近では恥じらいもなく尾篭な話もするようになってしまった。
私・・・前はこんなんじゃなかったのに。
投稿情報: Licca Channel | 2007/05/15 14:19
>OPANDAさん
OPANDAさんほど幅はありません。
投稿情報: Licca Channel | 2007/05/15 14:20
↑そなんことより、軍団山行計画決まったの?
投稿情報: OPANDA | 2007/05/15 16:53